少し間が空いてしまいました。
去る16日の早朝、祖父が亡くなりました。
享年81歳でした。

以下は個人的な記録として残しておきます。
読んでも楽しい気分にはならないので読み飛ばしてください。
祖父は1年半ほど前から頭部に血が溜まり、脳を圧迫されることによって認知症のような状態になっており、病院や養護施設にお世話になっていました。

覚悟はしていました。
今月に入ってから肺炎を患い、お医者様から「会わせたい方がいましたらできる限り早いうちに」と言われていたので、私も今月の11日に会いに行ったばかりでした。
そのとき見た祖父の姿は別人のようでした。
もう口からの食事もとれず、点滴のみの状態だったので衰弱はしているだろうとは思っていましたが、痩せて小さくなってしまった祖父をみたときは掛ける声が思い浮かびませんでした。
そのとき携帯で撮影した2分ほどの動画が最後の生前の姿となりました。
病院の方の話や祖母の聞いた話では点滴だけでも1ヶ月は生存できるとゆうことで、今のうちにできる準備だけでもしておこうと家族で話していた直後の喪報でした。

姉は16日に会いに行く予定でした。
その日の早朝の喪報だったのが悔やまれます。
あと半日だけでも生きてくれればと残念でなりません。
自分が早朝の病院からの連絡で到着したときには、泣いてる姉の姿と祖父の亡骸があるだけでした。
母が涙声で「こんなに早くなんて」と言っていたことが忘れられません。
母があんなに声を震わせた声を聞いたのは初めてかもしれません。
そのくらい印象深いことでした。

これからだった準備をその日のうちに済ませ、次の日には通夜も済ませました。
感傷に浸る暇もないほどの忙しさでしたが、通夜の日の夜、式場から家に戻るとき、祖母が私にポツリと言った「じいちゃん・・・明日焼かれちゃうんだねぇ」とゆう言葉は私にため息しか出させませんでした。

火葬のとき、私は代表者として最後の見送りをする5人の中に入りました。
親族の方たちが最後の別れを済ませ、代表者5人で火葬場に入る棺を見届けたとき祖母の言った「次は目の悪くない人生でね」が生まれつき目が良くなかった祖父への別れの言葉でした。

私が生まれてから今まで、ずっといた当たり前の存在がいなくなり、そして二度と会うことのできなくなるとゆう現実を体験した気持ちは、言葉では表現しにくいものです。
願わくば、こんな気持ちを味わうのはこれで最後でありたい。